ハワイ帰りの眼科医が、
駆け込み寺になった理由。

【PROFILE】

佐藤眼科医院(山形県)副院長・手術センター長
/佐藤浩章

1999年、山形大学医学部卒業。山形大学医学部付属病院での研修医、助手を経て、2007年に米国ハワイへ留学。ハワイ州立ハワイ大学医学部外科学講座眼科専攻クリニカルフェロー。帰国後、山形県立中央病院に眼科部長として勤務。2016年佐藤眼科医院にて副院長に就任。現在、山形県眼科医会理事、佐藤眼科医院手術センター長を務める。
※2018年11月インタビュー

Q1眼科医になったきっかけ・想い

医師家系に生まれ育ち、眼科医として4代目、家業である佐藤眼科医院では2代目となる佐藤氏は、迷わず医学部を志した。「私がまだ幼い頃、父が佐藤眼科医院を開業しました。当時ちょうど白内障手術に新しい技術が導入された時期で、大学病院から離れた父が一人で一生懸命に学ぶ姿を見て育ちました。最新の超音波手術を取り入れて、見えるようになったと喜んでくれた患者さんのことを、家で楽しそうに話していたんです。悪化を防ぐことが精一杯の病気が多い中で、劇的に良くなる治療ができる科は他にない。白内障の手術を終えると皆さん明るくなりますし、私の専門である網膜の領域では、放っておけば失明につながる患者さんを自分の腕一本で救うことができます。この仕事の醍醐味ですね。」
佐藤氏は現在、眼科手術で起こりうるあらゆる合併症に対応できる医師として、県内中の眼科医から頼りにされる存在になっている。

Q2佐藤先生の治療へのこだわり

大学病院勤務の時代、網膜の病気である加齢黄斑変性による失明を回避できる画期的な新薬が、アメリカで開発された。ちょうど留学先を検討していた佐藤氏は、ここでハワイを選択する。「加齢黄斑変性は人種による差がすごく大きくて、欧米系の方の治療法を学んでも、日本人を治すことはできないんです。でもハワイならば日系人が多いでしょう。当時、世界で唯一アジア人に対する新薬の治療経過を見られる場所がハワイでした。」
日本ではすでに医師としての経験を積んでいたが、医師免許の制度が異なる米国では、通常であれば治療行為に携わることはできない。しかし、新薬の治験なら直接患者を診察することができる。この点も、佐藤氏がハワイへの留学を決めた理由の一つだった。「おかげで1年以上、新薬の使用法を、実際に患者さんを診ながら学ぶことができました。帰国して1年後にその新薬が日本でも発売されたのですが、誰もが手探りで治療している時に、私は全力で治療することができた。その分だけ患者さんを失明から救えたことは、本当に大きかったと感じています。」
網膜の分野では他の追随を許さない知識と技術、そして失明から救う治療へのこだわりが、他の眼科医の駆け込み寺となっている理由だろう。

Q3佐藤先生が目指す理想の眼科医・眼科施設

眼科に来院する患者は、白内障などもあり高齢者の方が多い。ただでさえ動きづらい上に、視力に問題を抱えている彼らに多数の医院や薬局を回らせることは、大きな負担になってしまう。そこでまず佐藤氏が手を打ったのが、院内処方だ。
「薬の在庫ロスもあり、経営としてはリスクが上がります。でも、ここに来れば治療が完結するという場所にしたかったので、こだわりを持って院内処方を導入しました。眼科は専門が多岐に分かれていますが、当院では可能な限りワンストップで対応できるよう、5名の常勤医と3名の非常勤医師によるチーム体制も整えています。」そう語る佐藤氏のまなざしは、真剣そのもの。しかし、県を代表する先端医療眼科医でありながら、患者とのコミュニケーションではその権威を感じさせない。
「白内障の手術をすると、それまで見えていなかった部分まで鮮明に見えるようになります。だから、手術したお姑さんから掃除の仕方や湯のみの茶しぶを指摘されるようになったと、お嫁さんに怒られたりするんですよ(笑)。」
患者さん一人ひとりとの信頼関係を大切にしながら、さらに多くの方を救うための挑戦を止めることもない。「地域のあらゆる患者さんを救う医院。同業である他の眼科医からも頼られる医院。本当の意味で目指している姿はまだ遠く先ですが、必ず実現したいと思っています。」その言葉に、強い期待を抱かずにはいられない。